yuupytanの日々是好日〜絵と詩とお茶と、至福の時間

何気ない日常のなかに、ハッとするような発見があること。癒しや気付きをくれる日々に感謝して、感じたままを綴ります。

大輪の菊が、語りかけてくる。

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菊の花弁の集合体は、

まるで、細胞分裂のよう。

秩序がないようで、あるような。
調和であるような、混沌であるような。

そんな朱と黄の大舞台。

人生に、大輪を…。





とある場所に、
大輪で1輪ずつの菊の鉢、がいくつも並んでいました。

ひとつだけ目を惹いたのが、

この朱と黄のミックスされたもの。


黄金に輝く「それ」は、
他の1色のものとは明らかに違う
存在感で、
そこに佇んでいました。

それはそれは、
異才を放っていました。

私を見て!と言わんばかり。


一目見た時から、
描きたい衝動が抑えられず、

半ば無謀な(自分との)闘いになるだろうな、
と思いながらも、

鉛筆を走らせてみました。


実際に描いてみると、

花びらの膨らみ、を表現することに
夢中になり、

そのために、
奥行き、
を描くことがメインになりました。


人生も、層になっていますね。
陽の背景には必ず陰があって、
陰陽が断層になっていて…。


うまく描けたかどうか、
2次元に再現できたかどうか、

は、わかりませんが、


言いたいことはわかる、

そんなものに、なっていたらな〜(笑)






絵を描いてると、
あっという間に時間が過ぎ、

1時間が、1分にも感じられて…。

ただひたすら、鉛筆と消しゴムを動かし続けて、
時間を忘れて集中する。
ある意味、瞑想状態に。

そのあとにくる、心地よい疲労感が、

自分へのご褒美。



お気に入りのカフェで…。
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秋桜畑にスポットライトを

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風に吹かれて、
揺れる秋桜

陽だまりのなかで、
輝く秋桜のピンク色。

大勢のなかで、

主役は私よ!
と言わんばかりの可愛らしさ。

華奢で可憐な姿にも、

風にも負けず、雨にも負けず、
その健気な姿は、
見る人を元気にさせる、
秋桜のピンク色。






私のおばあちゃんの好きなお花は、
秋桜でした。

1輪で見るよりも、
お花畑1面に、
という
群生の状態で、見ることが多いですね。

「わぁ〜!」

と、歓声をあげる、
おばあちゃんの顔を想いだします。


1輪でも綺麗だけれど、
お互いを支えるように、
寄り添いながら咲いている姿に、
心動かされますね。

私たちの目を楽しませてくれるお花畑、
それを見て目を細めるおばあちゃんの記憶とともに、
ワンカット、
描いてみました。


あえて、クローズアップして描いて、
主役、を立ててみましたよ。

スポットライトのもとに、
キラキラと輝く秋桜たちは、

おばあちゃんの、
可愛くて、綺麗な心と重なります。





ところで、、、

絵を描いてると、

あっという間に時間が過ぎてしまいます。

1時間が1分に感じるほど。

ただ、ひたすら描き続けて、

時間を忘れて集中する、

心地よい疲労感が、ご褒美。




もうすぐクリスマス。
キラキラとした景色に、
心癒されますね✨✨✨
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カサブランカが教えてくれた、光と影。

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花を描く。

白い花、を描く。

無色、を描く。

白、は、光。

光、は闇があってこそ、

感知できる世界。





百合が、いつからか、
庭に咲くようになりました。

周囲となじまないので、
引き抜こうとしましたが、
あまりの存在感に、
咲き終わるまでそのままにしていました。

ここ数年間で、
悲喜交々、
いろいろありました。

何か、慰められているように感じられた、
白い百合の花。



白くても華やかなカサブランカを、
描いてみました。

画用紙の白を利用するよりも、さらに、

白、を想起させるには、

どうしたらいいのだろう…?



思い切って、

陰影(闇)、

を、描いてみました。


そしたら、

白の存在感、
そこに宿る光、

が見えてきました!


光と闇は、同席するものなんですね。



今日の自分へのご褒美は、
ほうじ茶オーレ、でした。
写真撮り忘れちゃいました☕🍵。

私が絵を描きだしたエピソード〜コロナ時代とともに〜

コロナの影響で、
一時期、
外出する頻度が少なくなりました。


人と会う機会が減りました。
物を買う機会が減りました。
外食しなくなりました。
学校は休校になりました。
習い事も休会になりました。


要するに、
時間がやたらと増えました…?

いや、時間は増えないか…。

家にいる時間、
自由な時間、
が増えたといったらいいのかな。



今まで、
これが日常、と思ってたことが、
ものすごい力で、
ものすごく日常ではないものへ、
引き上げられた、
というのか、

そのありふれた日常が、
いかに尊いものだったか、
を、
思わずにはいられなかった、というか…。




断捨離!、
運を上げるには断捨離!!
って、
よく言うけれど、
なかなか未練があって、
今あるものや関係は断ち切れないもの。

もしかしたら使うかも…?
もしかしたら必要かも…?

もしかしたら…?
は、
ないから大丈夫!って、
半ば無理やり、
自分にとって、
必要なもの、不要なもの、
の判断を迫られたような気がする。


最近は、不正も、犯罪も、隠し事も、
わりとすんなりと暴かれていってますよね。
良くも悪くも、
そんな時代に入りましたか…。




でも、コロナ後の世界は、
ちょっと、
レベルアップすると思いませんか。。。

みんながピュアに、
持ってる才能が、
認められる時代になると思いませんか…?


ハンマーは振り落とされたけれど、
その波紋が、また戻ってくるときは、
綺麗に澄んだ世界に、
少しでも変わっているといいなと思います。




私は、
有り余る時間の海のなかで、
溺れそうになりながらも、
手探りで、
何ができるか、を1人思いました。
きっと皆さんもそうでしたよね。


今までの人生の出来事に、
どういう意味があったのだろう。

と思いを馳せるとき、

目をそらさずに、
きちんと見なければ、
本当のところはわからない、
と思うのですよね…。


自分がきちんと見てるかどうか、
を測るものさしは、
自分のなかにあるのだがしかし…、
きちんと働いてくれるとは限らず…。

見たくないものは見ない、だろうし。




時間の洪水のなかで、
情報の断捨離から始めた私。
まずは、スマホ内の写真の断捨離。
もっとも取りかかりやすい。
断捨離のとっかかり、と、
自分を満足させるには最適な作業。


写真を見ている時、
ふと、
絵を、
描きたくなったんですよね。。。


図工、美術といった教科の評価は、
決して高くなかった私が、
恐らく、距離をおいていた、
絵画。


取り組んでみてわかることですが、
絵を描くって、
すごく自分のなかを旅する作業なんですよね。


そして、気づきを得る、
もっとも手っ取り早くて、
慈悲深い、
お釈迦様のような悟りを、導いてくれる活動。


この気付きを得るまで、
そんなにはかかりませんでした。
ただ、
ならうのではなく、なれろ、
の精神です。


教えてもらうのではなく、
自分のなかの「師」に、
教わり、軌道修正する。


遠回り、と思えることが、
実は、
本質にたどり着く最短距離なことがあったりします。


絵や詩、を、
ならってはいけない、というのでは、
ないけれど、
型を習得した時点で、オリジナリティを否定す
る力が働くので、

それに気づいていくことが、
これからの時代を生き抜くヒントになると
私は思っています。



私のように、この自粛中に、
絵を描きはじめた方もいらっしゃると思います。

習い事に通うこともままならない、
オンラインでの指導にもまだ躊躇する、
そんな時は、

我流を良し、
楽しければ良し、

と信じて続けていたのではないでしょうか。

その土台が、あればこそ、
芸術は生きてくると、
私は固く信じています。


今日の自分へのご褒美。
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はじまりのジョグ〜クロアゲハと彼岸花〜

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クロアゲハが彼岸花に止まっている。

赤と黒の原色の世界に、

なんだか絶妙な、調和がある。

そして、妖しげな魅力、

あの世の入り口に見えたりもする。






前から彼岸花は描きたかったのです。

でも、色鉛筆でどのくらい再現できるのか、

自信がありませんでした。

だけど、

夢中になってしまったが最後、

その妖しげな魅力にとりつかれてしまい、

もう描けてるのか、描けてないのか、

などという二元の世界ではない、のですよね。

冥界に迷い混んでるようです。





絵を描いていると、時がたつのを忘れます。
時間を飛び越えて、瞑想状態に、
なれます。


自分にご褒美あげましょう。
今日のお茶タイムは、
お家カフェガーデンさんで。

クリスマス近し…🎄

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序章:助走

私は、約2年前から、
お茶の稽古、に通っています。


私の好きな本、

日日是好日」。

お茶のお稽古の場面がたくさん出てきます。



その本のなかで、
お茶のお稽古中に、先生が、

「ここに、居なさい。」

と、生徒さんに指示される場面があります。


お稽古している際に、
生徒さんの気持ちが、
「今、ここ」、になかったことを、
指摘される場面です。


私は、先生の、
まるで全てを見通したような、
全てを包括するような、
この言葉に、

お茶の世界の本質、

を見たような気がしました。


いいえ、
お茶の世界、だけではありません。
人生における処世術、というようなものを、
感じ取りました。





時がたつのは早い、と言いますが、

今、は、
もう、過去、になり、
未来、は、
もう、今、になる。

そこに、
ただいる、
ただある、
ということが、
簡単そうで実は難しい、

と、いうことを思うとき、


「幸せ」、とは、
もっと近くにあるのではないか…、
と、感じるのです。


追っかけたり、
振り返ったり、

なぜ人は、
遠くに「幸せ」、を求めにいくのでしょう。

未来に希望を託したり、
過去の思い出に浸ったり、

それは、生きていくための、
まるでビタミンサプリ。



もっとストイックに、

「今、ここ」、

を意識するならば、


その時に感じたこと、
心が震えたこと、
ふと気づいたこと、

こそが、人生のごちそう。
宇宙からのご褒美。

では、ないでしょうかね。。。

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